「さよならだけが人生だ」
- 皆川 義廣
- 6月20日
- 読了時間: 2分

「さよならだけが人生だ」は、唐の詩人・于武陵の漢詩「勧酒」の一節「人生足別離」を、太宰治の師匠でもある井伏鱒二が訳した言葉です。
直訳すると「人生は別れが多い」となりますが、
井伏鱒二は「さよならだけが人生だ」と訳しました。
因みに、その前の文章も有り、
「この杯を受けてくれ どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ さよならだけが人生だ」
が翻訳の全文で有り名文です。
これは、人生における別れの大きさを強調した表現であり、出会いと別れを繰り返す中で、
今この瞬間を大切に生きることの重要性を示唆しています。
この言葉は、単に別れを悲しむだけでなく、出会いの大切さ、そして今を精一杯生きることへの呼びかけとして、多くの人々に共感と感動を与えています。
起業してから、実に多くのスタッフ、利用者さんが去っていきました。
中には亡くなった方もいらっしゃいます。
愛犬エル、愛山羊源さんとの別れも有りました。
それでもまた、新しいスタッフと利用者さんが来てくださり、KIZUNAが成り立っています。
今月も退去する利用者さん、新たに入ったスタッフがいます。
サラリーマン時代も多くの別れが有りました。
その時その時は悲しい気持ちが有ります。
ただ、
どうでもいい上司先輩同僚との飲み会などの付き合い
嫌いな親族との遣り取り
くだらないSNSや電話の時間
人脈を広げる為と称した無駄な交流会
こんな無駄な事に時間を費やさず、本当に大切な家族や友人趣味に今時間を使いましょう。
風さんの神曲「満ちていく」でも、
手を離す、軽くなる、満ちていく
と謳っています。
だからこそ、今を大切に生きたいですね。