
トマトとひき肉を煮込んだ「ミートソース」は、ナポリタンとともに日本人に最も親しまれているスパゲティだ。
こんな記事を見て嬉しくなったので、共有します。
原点は新潟にある。
貿易港として古くから外国人も往来した町は、多様な食文化をおおらかに受け入れ、豊かに育んできた。
ミートソースが生まれた舞台は現在、老舗ホテルになっているイタリア軒だ。
イタリア人、ピエトロ・ミリオーレさんが日本人向けに考案したと伝わる。
ミリオーレさんは明治初期にサーカス団の料理人として新潟に来たが、足にケガをして帰国がかなわなくなった。
それを聞いた県令(現在の知事)が牛鍋屋の開業を提案し支援した。
1875年(明治8年)に牛鍋屋と牛乳配達の店を開いたが、数年後に大火に遭う。
ショックで帰国も考えたものの、周囲の支援もあって81年に新潟中心部の繁華街・古町に西洋料理の店、イタリア軒を誕生させた。
ケガの功名といえる偶然と港町ならではの交流が「日本初の料理」を生んだ。
イタリア軒はホームページでこう紹介している。
「日本で初めて提供されたといわれるミートソース、『伝統のボロニア風ミートスパゲッティ』のレシピは口伝えで残り、現代もリストランテマルコポーロのシェフにタスキを繋(つな)ぐように受け継がれています」
マルコポーロはホテル内にあるレストランだ。
出てきた品は、白いパスタに赤いソースが乗る見慣れたものと違う。
全体にたっぷりと肉が絡まっている。
ケチャップ味が強い「ミートソース」とは微妙に異なる。
生のトマトと赤ワインの風味が広がり、まさにボロネーゼだ。
総料理長の関本拓夫さんによると、ミリオーレさんはボロネーゼが生まれたボローニャのある北イタリア出身という。
関本さんは「明治時代にはイタリア軒の前に日本海とつながる堀があり、地下には雪を詰めた自然の冷蔵庫があった」と話す。
新潟は運河の町だった。今も「東堀通り」「西堀通り」という住所に残っている。
様々な食材が船で直接、厨房に運ばれた可能性が高い。
イタリア軒では当初、デミグラスソースと赤ワインを煮込んだミートソースを出していたという。
「江戸時代まではタブーだった牛肉の魅力が認識されるようになり、そこからイタリア料理、ミートソースが広がっていったのだと思う」と関本さんは推測する。
あまり知られていないが明治20年代、新潟県は日本の都道府県で最も人口が多かった。
物流の要衝だった。
「本間文庫にいがた食の図書館」を運営する出版社ニール代表の高橋真理子さんはこう指摘する。
「人と物の出入りが多く、華やかな文化が生まれた港町の成り立ちと、新鮮で豊かな地元の食材、さらに新しい食を受け入れる懐の深い人々の気質がミートソースを育む背景にあった」
1960年、ミートソースの変化球が生まれる。
新潟市民なら誰でも知っている庶民の味、焼きそばにミートソースをかけた「イタリアン」だ。
県を代表するB級グルメで、新潟市や長岡市には専門店がある。
「B級グルメが地方を救う」という著書がある長野県立大教授の田村秀さんは「新潟はカレーやラーメン好きでも知られる。
A級とB級、和食と洋食が混在する新潟の食文化は、様々な階層の人たちが地域の食材を堪能している豊かさの証しだと思う」と話す

長くなりましたが、このイタリアンは私にとってのパスタ、スパゲッティー、イタリア料理の素になっていた学生の頃からのソウルフードです。
東京で初めて食べたパスタに驚いたのを覚えています。
ただ、この焼きそばにミートソースをかけたイタリアンを無性に食べたくなる時があります。
このイタリアンをキズナコーヒーのランチにする案が出ています。
そうなったら、このB級グルメを千葉で食べることが出来るんです。
しかも、焙煎仕立てのコーヒーと共に。
コレは食べた事のない人にも、衝撃を与える事でしょう。
当初予定より遅れていますが、間も無くキズナコーヒーでランチを出しますので期待してお待ち下さい。