「諦めなければ道は拓ける」
良く聞かれるこの言葉だが、視覚障害を持ちながら様々なイノベーションを開発してきた浅川智恵子さんが
言うと説得力があります。
私は前職で偶然にも浅川さんと一緒に仕事をする機会がありました。
浅川さんは、1997年にWEBページ上の文字情報を読み上げるソフトウェア「ホームページリーダー」を製品化しました。
その日のニュースなど、それまでは点訳を待たないと読むことができず、そもそも点訳すらされなかった膨大な情報へのアクセスを、インターネットを通じて可能にしたのです。
この技術は視覚障がい者のみならず、運転中のドライバーや高齢者などパソコンを操作できない方でも、世界中の人とつながり、多くの情報を得ることを可能にしました。
この製品を三越(現伊勢丹三越)がホームページに採用頂き、それを事例化する為に、一緒にお客様にインタビューするお仕事をさせて頂きました。
その業績を評価され、当時主任だった浅川さんはIBMのエンジニアのトップとされるフェローとなり、
昨年、毛利衛氏の後任として、日本科学未来館(東京都江東区青海)の第2代館長となりました。
現在その研究・開発チームが取り組むのは、視覚障がい者の目となり耳となって支援を行うスーツケース型のAIロボットです。
浅川さんがIBMの社内インタビューで語っていた言葉です。
私のモットーは、「あきらめなければ道は開ける」「不可能は可能になる」です。
人生を振り返って、目が見えなくなっても、あきらめずに進んできたことによって道は開けました。
目が見えなくなって、もうあなたにはこの道しかないと決められるのが嫌でした。
目が見えなくてもこんなことができる、というようなことをやりたいと夢を描きました。
あの高校に入りたい、あの大学に合格したいは、夢ではありません。手段です。
受験や入試を目標にしないでください。夢はその先にあります。
これは、大人も同じです。
年齢を重ねると夢や目標で自分を励まさなくなり、それを自分の子ども世代に託してしまいがちです。
日本は超高齢社会です。これから60代の自分、70代の自分、80代の自分とその年代ごとに夢を持ちましょう。
高齢になって記憶力が落ちた、視力が落ちてきた、と嘆くのではなく、課題の当事者になることで次の目標やアイデアが出てくるのではないでしょうか。
可能性はいくつになってもどんどん広がっています。
私もまだまだこれからです。次の夢の実現に向けて挑戦を続けます。
素晴らしい考え方です。
しょうさんも私も夢があります。
しょうさんに当たり前の生活を!
若者が夢と家を持てる町、長南町!
この実現に向けて挑戦し続けます。