魅力とは
- 皆川 義廣
- 8月13日
- 読了時間: 1分

大分中津藩に増田栄太郎という若者がいた。
彼は福沢諭吉の身内であったが、
福沢の教えに共感できず、六十数名の若者を連れて西郷隆盛の下に走った。
西南の役に破れ、いよいよ彼らに最後のときが来た。
彼は若者達を郷里に帰し、
次のような手記を残している。
かの人(西郷)は誠に妙な人物だ
一日接すれば一日の愛が生ず
三日接すれば三日の愛が生ず
しかれど接する日を重ね、
今や去るべくもあらず
故に事の善悪を超越し
かの人と生死を共にする他
我が生きる道はなし
そして、自らは西郷と共に自決していく
いったい人間の魅力とは、如何に生まれるのか
それは
与(よ)によって生じ
求(ぐ)によって滅す
西郷隆盛さんは、自分の家や着物には全く無頓着で、
政府高官の時の収入も殆ど部下や若者に上げていた人格者でした。
それが、増田さんの様な若者に圧倒的に支持されて最後は散って行きました。
いまだに地元鹿児島のみならず、福島などの敵軍の地でも愛されているのは、
与え続ける人だったからに違い有りません。
「与えられるものこそ 与えられたもの
ありがとうって胸をはろう」
そんな会社、人でありたい
そう思います。