罪を憎んで人を憎まず
- 皆川 義廣

- 10月21日
- 読了時間: 2分

罪を憎んで人を憎まず
孔子の言葉です。
過ちを犯した人そのものを憎むのではなく、
その行為に冷静に向き合い、その人が更生することを信じる「寛容さ」を持つことの大切さを意味します。
先般、ある保護施設の方から相談を受けました。
精神障害の元犯罪者をグループホーム・キズナで受け入れ可能かと。
立上げ当初にも有りました。
はい、先ずは体験をして双方で問題なければ受け入れますと。
殆どのグループホームでは会う事もせず、断られるそうです。
リスクが大き過ぎると思うからでしょう。
8割以上のグループホームはシェアハウスで夜間どころか日中もスタッフは居ません。
つまりは、利用者さん達のみの放置プレイとなります。
利用者さん同士の揉め事、近隣との揉め事のリスクを考えれば当然かもしれません。
当社は一般居住者と同じ建屋でかつ男女ミックスのグループホームです。
ただ、私含めほぼスタッフが常駐していて、セキュリティカメラとセキュリティ会社契約が有ります。
何かあっても直ぐに対応が可能です。
それもあって、殆どの方を受け入れることが可能です。
想像するリスクは排除できるからです。
また、私自身が腹を括ればいいからです。
それよりも、元犯罪者の選択肢を無くす方が罪だと思っています。
罪を憎んで人を憎まず
当社の某スタッフが先月付で懲戒解雇となりました。
就業規則を明らかに破り、複数の利用者さんに迷惑をかけた為です。
でも、罪を憎んで人を憎まず
いつまで人を憎んだり恨んでいても仕方ありません。
罪は罪
人は人
洗い流して前を向いていこうじゃありませんか。


