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「間」の文化


日本のポップソングの導入部分(イントロ)が最近、やたらと短くなっている――。


そこで「およげ!たいやきくん」「ラブ・ストーリーは突然に」など昭和・平成のヒットチャート上位20曲と2011年の同20曲を比べてみたところ、ともに平均17秒台で変化はほとんどない。


ところがさらに10年後の21年で調べてみると、半分以下の6.3秒と一気に短くなっていた。


理由は音楽配信の普及だ。


サブスクリプションで聴き放題のため、利用者は好みの曲を探して次々と再生していく。


歌い出しやサビまで時間がかかる曲は、待ち切れずにスキップされることも多い。


こんな記事が今朝の日経新聞のトップを飾っていました。


今の若者が、


CMや忖度が多すぎるテレビよりもTikTokやYouTubeを見て、


ラジオよりもサブスクの音楽を聞き、


買い物に行って料理するよりウーバーイーツを頼んで食べる。


全て時短で自由で効率的です。


私はよく人からせっかちと言われ、同様の傾向がありますのである程度理解ができます。


その時短で何をするかが重要です。


好きな人と会う、好きな本を読む、好きな映画を見る、好きな趣味に没頭する。


素晴らしい事です。


長南町で暮らすようになって、気づいた事があります。


ここは都会と時間の流れが違う。


せっかちと真逆で、全てがゆっくりなのです。


」を重要視しています。


日本語の「間」ということばにはいくつか意味があります。

まず一つは、「空間的な間」


旅館に行くと感じる、あの「間」、癒されます。


次に「時間的な間」がある。

こちらは「何もない時間」。

日本古来の音曲は、音の絶え間というものがいたるところにある。


田舎に行った時に感じるのんびりした時間、癒されます。


他にも、人や物事とのあいだにとる「心理的な間」 誰でも長短さまざまな心理的距離をとって、初めて日々の暮らしを円滑に運ぶことができます。


日本の古都、京都、奈良、鎌倉、首里が今だに人気なのは、この「」では無いかと思います。


長南町にも、空間的・時間的・心理的な「」があります。


だから落ち着けるんだと、今朝の記事を見て感じました。


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