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旦那と餓鬼


旦那というと、一番多く使われているのは、妻が夫を呼ぶ時ですね。


仏教では、布施をする人を旦那と言います。


元のダーナは、布施の事ですので、ここから臓器提供者を「ドナー」と言うとされます。


つまり、旦那の語源は布施で、与える人という事です。


これと真逆の言葉に、貰うばかりの餓鬼があります。


餓鬼道とは、欲しがるばかりで、布施する事を知らなかった人が堕ちる世界です。


餓鬼というのは、貰うばかりで、与える事を知りません。


自己中心的で、自分の事しか考えていないので、他人の気持ちを理解しません。


自分が得するとなれば目が輝きますが、自分と利害関係のない事には冷酷です。


そして、自分はしない事を他人に要求し、文句ばかり言います。


その結果、類は友を呼ぶで、徳のある立派な人は離れて行き、周りは自己中心的な餓鬼だらけになります。


そして、自分は貰ってばかりで、他人に与えない事に気づかないので、なぜ自分が苦しむのか気づかずに、


奪い合い、奪われ合って、苦しみ続けるのです。


あなたの周りにも、そんな人の一人や二人はいたかもしれません。


お釈迦様は、貰うばかりで与える事を知らずに苦しむ私達に、布施する事を教えられたのです。


相手を幸せにする事によって自分も幸せになる、自利利他が、仏教の精神なのです。


障がい者福祉事業はまさに自利利他の事業だと思います。


サラリーマン時代は、給料貰うのは当たり前と、少し餓鬼の気持ちで働いていたと感じます。


思い返すと、子供よりも餓鬼の大人が多いと思います。


魅は与によって生じ、求によって滅す」[無能唱元]


私の大好きな言葉です。





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